ジミー・ペイジ(Jimmy Page)は、イギリスのロックギタリスト、作曲家、プロデューサー。レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のギタリスト兼リーダーでもあった。
1944年1月9日にイギリスのミドルセックス州ヘストンで生まれる。
1963年より、セッション・ギタリストとして活躍、クルセイダーズ、ミッシェル・ポルナレフ、ザ・フーなどの数々のレコードに参加。
1969年のジョー・コッカーのデビューアルバムに参加。
1966年、クラプトン脱退後のヤードバーズに誘われるが、知り合いのジェフベックを推薦、しかし、ベーシストも脱退したため、ベーシストとして加入。すぐギターパートに変更になり、一時的だがジェフベックとのツインギター編成が実現。ヤードバーズはメンバーの音楽性の違いによる不仲から1968年に解散へ。
1968年、ジミー・ペイジを中心に、“ヤードバーズ”を引き継ぐ形でロバート・プラント(Vo)、ジョン・ポール・ジョーンズ(B)、ジョン・ボーナム(Ds)の4人で“ニュー・ヤードバーズ”としてデビュー。その後、バンド名を“レッド・ツェッペリン”と改め、69年にデビュー・アルバム『レッド・ツェッペリン』を発表。
1970年〜1980年、レッド・ツェッペリンをソウル、フォーク、ドラッド、レゲエ、民族音楽といったさまざまな音楽的要素を反映させ独自の地位を築くことに成功。
『レッド・ツェッペリンⅡ』(1969年)、『レッド・ツェッペリンⅢ』(1970年)、 『レッド・ツェッペリンⅣ』(1971年)、『聖なる館』(1973年)等名盤をリリース。
1975年にはバンド自身のレーベル、“スワン・ソング”を設立、『フィジカル・グラフィティ』(1975年)、『プレゼンス』(1976年)、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979年)を発表。
1980年、ジョン・ボーナムの死去によりレッド・ツェッペリンは活動を停止。
1985年、元フリーのポール・ロジャースと“ザ・ファーム”の結成。(〜1986年解散)
1986年、ローリング・ストーンズのアルバム『ダーティ・ワーク』のオープニング曲「ワン・ヒット」のレコーディングに参加。
1988年、ソロ活動のロバート・プラントのアルバム『ナウ・アンド・ゼン』に参加。
1993年、元ディープ・パープルのボーカル、デイヴィッド・カヴァデールと、“カヴァーデイル・ペイジ”を結成、日本公演後に解散。
2008年、北京オリンピックの閉会式でレオナ・ルイスと共に「胸いっぱいの愛を」を演奏。
ジミー・ペイジの功績は、なんと言っても“レッド・ツェッペリン”を世界一のロックバンドとして成功させたことであろう。
ジミー・ペイジが奏でる完成されたギター・リフとロバート・プラントの至高のヴォーカルが織りなすパワフルなサウンドで世界中のロック・ファンを魅了したことは言うまでも無い。
ペイジの手にかかれば、ソウル、フォーク、ドラッド、レゲエ、民族音楽がロックに見事なまでに融合してしまう。
そして、高い完成度に革新性をも兼ねた音楽性とパワフルなライヴ・パフォーマンスは60年~70年代のロック・シーンにおける大きな指針となり、現在もなお世界中で多くのフォロワー・バンドや新しいファンを創生している。
ジミー・ペイジの創り上げた“レッド・ツェッペリン”とギター至上主義の美学は、我々の心の中にずっと輝き続けるにちがいない。