ビング・クロスビー(Bing Crosby)は、アメリカ合衆国の歌手、俳優でアメリカ初のマルチエンターテイナーのひとり。
20世紀が生んだポピュラー歌手のうちでも大きな影響を与えたビング・クロスビーは、1903年5月3日にワシントン州タコマに生まる。本名はHarry Lillis Crosbyだが、ビングは好きだったコミックの主人公の名からとったあだ名。
プロデビューは1926年、ポール・ホワイトマン楽団に入団。その後、楽団内で結成されたザ・リズム・ボーイズに参加、独立後に「オール・マン・リヴァー」をヒットさせる。その後、ソロで歌唱した1931年の「アイ・サレンダー・ディア(I Surrender, Dear)」 などがヒットしたことから、ソロ歌手として独立。ラジオ普及の時代を背景に、CBSラジオでラジオショー「ビング・クロスビー・ショー」のレギュラー番組を持つに至り、全米的な人気を獲得する。
歌手としてトップスターの地位を確立したクロスビーは、映画にも進出、主演スターとして長年ハリウッドのトップに君臨し、生涯で57本の映画に出演した。我が道を往く』では、アカデミー主演男優賞受賞、『喝采』では、同賞にノミネート。
歌手としては、1940年以降、13曲の全米No.1ヒットを持つ。「ホワイト・クリスマス」や「星にスイング」、「サイレント・ナイト」などの数々の不滅のヒット曲をリリースしたこともあり、生涯のレコード売上は4億枚を超えるという。
その後もクロスビーは歌いつづけて70年代には、もう一人の大スター、フレッド・アステアとアルバムを録音している。1977年10月14日、スペインで愛したゴルフのラウンド中に心臓麻痺で倒れ他界する。
20世紀が生んだスーパ-スター、ビング・クロスビーの影響は多くの歌手に引き継がれている。